大日如来石仏|ピアノ教室 管理人のつぶやき

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大日如来石仏 (聖域No.02)

▲ひっそりとたたずむ小さな石仏。
この「大八朔聖域紀」を作るキッカケになった、 本当に小さな小さな聖域です。 通りから一歩も二歩も入った路地の、 そのまた草むらの中に、ひっそりと、 そして威厳あるお姿で鎮座されている石仏です。 大八朔聖域紀を作った経緯にも書いているように、 この壊れた寄せ集めの石仏は「大日如来(だいにちにょらい)」です。
「大日如来」とは、平安時代にあの弘法大師空海(774-835)が、 苦難の末に唐に渡り持ち帰った「真言密教」の、 その教えの中心に存在する仏様です。 曼荼羅に表されるように仏法の中心であり、 世界の、そして宇宙の中心でもある「大日如来」。 そんな「大日如来」が、西八朔の片隅のこんな場所で小さな石仏となって、 人間の営みを長い間見守り続けておられるとは!! 純粋に感動を禁じえません。 さてこの「大日如来」の石仏。 写真でわかるように、もともとの形が何らかの事情で壊れ、 その破片を寄せ集めて構成されています。 破損したパーツは全部は残っていないようで、 そのため向かって左側が石仏、右側が碑文となっています。
▲半分石仏、半分碑文。▲はっきりと「大日如来」の文字が。
石仏は、蓮華座(れんげざ)の上に結跏趺坐(けっかふざ)する坐像(ざぞう)で、欠けた右腕はおそらく智拳印(ちけんいん)という印相を結んでいることから、 この大日如来は「金剛界大日如来(こんごうかいだいにちにょらい)」という形です。 「金剛頂経」にもとづいている「金剛界大日如来」は、 仏のを表しているそうです。 残念ながら頭部は完全に破損していて、そのお顔を見ることはできません。 碑文中央には「願成就所 建立大日如来」とハッキリ読めます。 その左側には「?月吉日」と日付が見えます。 何月なのかは、ちょうど削れてしまっていて読めません。
そして右側の碑文。 「?政四?」とあります。 最初の「?」は"見"という文字に近いのではないでしょうか? 和暦の元号において二文字目が"政"となっているのは「安政」「文政」「寛政」の3つだけ。 このうち一文字目が"見"に近いパーツを持っているのは・・・ 「寛政(かんせい)」です! この「大日如来」の石仏は、寛政四年に建立されたようですね。 寛政四年はグレゴリオ暦では「1792年」です。 日本では江戸幕府老中松平定信(1759-1829)が寛政の改革を断行し、 また浮世絵の世界では東洲斎写楽(生没年不詳)が活躍した時代です。 一方世界では、フランス革命戦争(1792-1802)が勃発し、 ニューヨーク証券取引所が設立され、 フランス革命によってルイ16世(1754-1793)が拘束され、翌年処刑されました。
▲人々の暮らしに寄り添って、見つめ続けていく大日如来石仏です。
そんな波乱に満ちた時代に、人々の願いが叶うようにとの想いを込められて、この石仏は建立されたのでしょう。 以来200年以上に渡って人々の暮らしや生き様、数々の合戦、生と死を見つめ、そして多くの人の願いを聞き続けてきた「大日如来石仏」。 今後もこの場所で歴史の移り変わりとともに時を刻んで欲しいと、切に願ってやみません。
【大日如来石仏】への行きかた
東急青葉台駅、JR横浜線中山駅からバス「青90系統」に乗り「宮前」下車
徒歩約10分

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