よみがえる幻のピアノ!スタインベルグ・ベルリン

よみがえる幻のピアノ!スタインベルク・ベルリン - 日本に現存する個体の経緯と所在を総まとめ

先日は「紙のピアノ」についてご紹介しましたが、今日は「幻のピアノ」についての話題です。

「幻のピアノ」復活10周年 岡山・政田小でコンサート
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20120224-00000011-maiall-soci(リンク先は既に消失)

引用

日本に3台しかないというドイツ・スタインベルク社のグランドピアノがある岡山市東区政津の政田小学校(青山順子校長)で23日、ピアノ修復10周年記念コンサートが行われ……

〜中略〜

スタインベルクピアノは1908〜40年に製造。政田小では地元有志が29年に寄贈し50年以上使われた。しかし老朽化で廃棄寸前になり、00年、地元住民らが「修復・活用委員会」を結成。地元や卒業生らに訴え、募金約400万円で修復し02年3月に修復記念コンサートを開いた。

毎日新聞|Yahoo!ニュース

ふむ……幻のピアノとはドイツ・スタインベルク社のグランドピアノのことなんですね。

しかしなぜ幻なのか? 日本に3台しかないから? ニュースからはよくわかりません。

そんなわけで、少し探っていきたいと思います。

 

なおこの記事を書くにあたって参考にさせていただいたWebサイトやPDFは、途中で紹介したものも含め、一切合切を記事末にまとめて掲載しています。より一次情報に近い内容をご覧になりたければ、リンク先を確認してくださいませ。

スタインベルク(グ)の呼称について

まず呼称について。

今回話題のスタインベルクは、ドイツ語で「Steinberg」と綴ります。日本語ではスタインベル、あるいはスタインベルとも呼ばれていて、統一されていない感じです。シュタインベルク(グ)と記述されることもあります。

Googleで検索すると……

  • スタインベル:約 78,100 件
  • スタインベル:約 81,900 件

と、ややスタインベル派が優勢(2020-11-01時点)。

しかしWikipediaでは、スタインベルが優先され、スタインベルは補足的な扱いとなっています。

本記事では、う~ん、迷いますが……一応スタインベルで以下統一します。もし混在していても、同じものだと思ってください。

ふたつのスタインベルク社

さて、幻のピアノという割には、今でもスタインベルク社というピアノメーカーはあるんですよね、これが。

なのになぜ幻なのか?

ここでいう幻のピアノを製造したスタインベルク社というのは、20世紀前半にドイツ・ベルリンに存在していたピアノメーカーのことで、現存するスタインベルクとはまったく別の会社なんです。

区別をつけるために、幻の方は「スタインベルク・ベルリン」、現存する方は「ヴィルヘルム・スタインベルク」と呼ばれています。

なんだか紛らわしいですが、スタインベルク・ベルリンは「STEINBERG BERLIN」、ヴィルヘルム・スタインベルクは「WILH.STEINBERG」とピアノに刻まれているので、迷うことはありません。

とはいっても、管理人は見たことはありません。なんせ、幻ですから。

なお、現存する方のヴィルヘルム・スタインベルクは、厳密には会社名ではなく、1877年創業の独テューリンガー・ピアノフォルテ社が販売するアップライトとグランドピアノのブランド名を指します。

また同じ綴りで、スタインバーグというオーディオソフトウェア会社(今はヤマハの子会社)がドイツにありますが、これも今回のスタインベルクには関係ありませんので注意です。

なぜスタインベルク・ベルリンが幻のピアノと言われるのか?

では、今はなきスタインベルク・ベルリンの歴史を紐解いてみます。

スタインベルク・ベルリンは、1908年にドイツ・ベルリンで創業したピアノメーカーです。

ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団にもコンサートピアノが納入され、名指揮者として名高いヴィルヘルム・フルトヴェングラー(Wilhelm Furtwangler 1886-1954)も購入したといいますから、当時から非常に高い評価を得ていたことがわかります。

しかし1929年の世界恐慌による経営悪化と、それにつづく第二次世界大戦が、若く実力のあるピアノメーカーを押し潰していきます。

1936年、ユダヤ人であった創業者レヴィーとシュレンジンガーの二人は、ナチス・ドイツによる迫害から逃れるためにイギリスに亡命。1940年になるとスタインベルク社の所有者も変わってしまい、そのまま歴史の中に消えていきました。

瓦礫の山になったベルリンのイメージ画

1945年、連合国軍によってベルリンは陥落し、ドイツは敗戦。瓦礫の山の中で、貴重な資料含め何もかも失われてしまいました。

わずか32年間という短い歴史の中で、結局何台のピアノが製造されたのかさえ不明とか。それ故に、スタインベルク・ベルリンのピアノは、世界でも貴重な存在、幻のピアノになっているというわけなのです。

日本におけるスタインベルク・ベルリンのグランドピアノの所在と経緯

日本では1928年(昭和3年)昭和天皇ご即位の記念として、かつて東京にあった「外国ピアノ輸入商会」が輸入した3台のグランドピアノが知られ、各地で寄贈されたり購入されたりして、今も残っています。

  • 1台は、今回のニュースになった岡山市東区政津の政田小学校に
  • 1台は、長野県佐久穂町の八千穂小学校に
  • 1台は、京都府綾部市の綾部高校に

さらに上記3台とは別に、もう1台存在しているようです。

  • 4台目は、神奈川県相模原市のピアノサロンMuに

では1台ずつ見てきます。

政田小学校のスタインベルク・ベルリン

1929年(昭和4年)、昭和天皇御大典記念として地元の有志により政田小に寄贈されたそうですが、その後廃棄処分扱いとなって資料館に眠っていたといいます。

しかし、これも有志による「スタインベルクピアノ修復活用委員会」によって、2002年3月に修復を終え、修復特別コンサートを開催。

下は修復10周年コンサートを伝えるニュース動画です。

また政田小のスタインベルク・ベルリンの修復の過程は、書籍としてまとめられて出版されています。

▲これはスタインベルクピアノ修復活用委員会による報告書。

▲こちらは就実大学非常勤講師 政田民俗資料館 安倉清博氏による記録。

八千穂小学校のスタインベルク・ベルリン

1928年(昭和3年)12月、穂積尋常高等小学校(のちの八千穂小学校)が、地元で酒造会社を経営する黒沢家からの寄付をもとに、外国ピアノ輸入商会から購入したもので、当時の価格で2537円40銭。1927年製。

当時外国製のピアノはとても珍しく、音楽会が開かれたり他校から教師が練習に訪れたりしたようですが、太平洋戦争や村の統廃合を経て、1978年に八千穂中学校の体育館へと移動され、ステージでホコリをかぶり顧みられなくなりました。

しかし2000年から八千穂村誌で取り上げられたことで、「八千穂スタインベルクピアノ修復委員会」が設立。寄付金を元に修復をおこない、2005年に完成。記念コンサートも開催したそうです。

(なお同年には隣接し合う八千穂村と佐久町が合併して佐久穂町が誕生しています)

その後、八千穂福祉センターへ移設し、2015年から佐久穂町生涯学習館「花の郷・茂来館」メリアホールに保管されています。

動画内でピアニスト西野智也さんが演奏しているスタインベルク・ベルリンは、上述の佐久穂町茂来館に設置されているものです。

西野さんは同ピアノについて、サイトで詳しくレポートされています。貴重な写真もたくさん掲載されていますよ。

綾部高等学校のスタインベルク・ベルリン

1928年(昭和3年)もしくは 1929年(昭和4年)、綾部高校の前身である綾部高等女学校の同窓会から寄贈されたスタインベルク・ベルリンのグランドピアノ。

老朽化のため2000年に修理されたものの、長きにわたり弾き継がれ、今も現役ピアノとして音楽の授業で使われているそうです。

綾部高校のホームページでは、ごく普通に音楽室で佇むスタインベルク・ベルリンの姿を拝むことができ、なんだかほっこりします。😊

長きにわたり、たくさんの生徒たちの成長を見守ってきたのかと思うと、感慨深いものがあります。果たして自分の母校のピアノはどうだったのだろうかと、思わずにいられません。

ピアノサロンMuのスタインベルク・ベルリン

国内4台目となるスタインベルク・ベルリンのグランドピアノは、神奈川県相模原市のピアノサロンMuにあります。

購入や発見の経緯はよくわからないので、ピアノサロンMuのサイトでご確認ください。

もちろんピアノサロンなので、実際に弾くこともできるようです。 詳しくは以下のリンク先で。

ピアノサロンMu

日本にはスタインベルク・ベルリン製のアップライトピアノもあった!

なんと日本には、スタインベルク・ベルリン製のアップライトピアノも現存しています。それも4台も!

  • 1台は、岐阜県中津川の落合中学校に
  • 1台は、東京大学医学部附属病院に
  • 1台は、長野県佐久穂町に
  • 1台は、岡本太郎記念館に

これも軽く見てきます。

落合中学校のスタインベルク・ベルリン

岐阜県の中津川市立落合中学校に現存するスタインベルク・ベルリン製アップライトピアノは、1951年(昭和26年)の購入以来、ずっと現役で音楽授業などに使われてきました。

当時の教諭と校長が名古屋まで出かけ、一番音が良いからと購入したというアップライトピアノもやがて老朽化し、学校の玄関ホールの隅で寂しい余生を過ごしていたそうです。

しかし同校の卒業生や地元の人たちからの募金により修復。2008年6月20日、同校体育館で修復記念コンサートが開催されています。

なお同校のピアノ修復と、次に紹介する東大病院のピアノ修復とは、お互いに影響しあって成し遂げられたようです(東大病院だより No.59参照)。

東大付属病院のスタインベルク・ベルリン

東大病院看護部の同窓会である芙蓉会(ふようかい)が、1916年(大正5年)の設立時に作った会歌『富士の歌』。その作曲を担当したのは、かの山田耕筰(やまだ こうさく)でした。

その後芙蓉会はピアノ購入を試みるものの、高価でなかなか手が出ません。しかし1938年(昭和13年)、教授のツテもあり、山田耕筰愛用のスタインベルク・ベルリンのアップライトピアノが寄贈されることに。

以来、看護師寄宿舎に置かれていたものの老朽化が著しく、調律も修理も費用がかさむため放置状態。破棄されそうになったこともあるとか。

しかし落合中学校のスタインベルク修復の報、および修繕要望の投書を受け、2009年に募金を募って修復作業を開始。2012年3月21日に修復記念演奏会が開催され、芙蓉会から東大病院へと寄贈されています。

佐久穂町のスタインベルク・ベルリン

既にご紹介したように、長野県佐久穂町には八千穂小学校から伝わるスタインベルク・ベルリンのグランドピアノがあります。

しかし驚くべきことに、同社のアップライトピアノも存在しているとか。びっくりです。

元々は同町職員の方が個人で入手・修繕していたもので、その方が亡くなった後、2016年遺族によって佐久穂町に寄贈されたといいます。

これによって佐久穂町は(現時点では)日本で唯一、スタインベルク・ベルリンのグランドピアノとアップライトピアノの両方を所有している自治体ということになります。

そう、幻のピアノを2台です。😮

岡本太郎記念館のスタインベルク・ベルリン

「芸術は爆発だ!」でお馴染みの岡本太郎記念館には、親交のあった歌人 与謝野晶子さん(正確には与謝野家)から譲り受けた、スタインベルク・ベルリン製アップライトピアノ(推定1924年製)があります。

岡本太郎氏といえば、エネルギッシュな絵画のイメージですが、実はピアノも玄人裸足の腕前だったとか。クラシックからジャズまで巧みに弾きこなし、特にモーツァルトが好みだったといいます。

そんな太郎氏が愛用したスタインベルク・ベルリンのアップライトピアノですが、2015年4月から修復に出され、同年12月24日のクリスマスコンサートで披露されました。

以下は修復からコンサートへ至る過程の、貴重なリポートです。

特にリポート①には修復前の音色を収録した動画が、最後のコンサートレポートには修復後の音色を記録した動画が掲載されていますので、必見です。

まとめ - 計8台のスタインベルク・ベルリンを確認

あくまでこの記事執筆時点ではありますが、日本にはグランドピアノが4台、アップライトピアノが4台、合計8台のスタインベルク・ベルリンのピアノがあるってことになります。

グランドピアノからまとめると……

  • 外国ピアノ輸入商会 ⇒ 岡山市東区政津 政田小学校
  • 外国ピアノ輸入商会 ⇒ 長野県佐久穂町 穂積尋常高等小学校(のち八千穂小学校) ⇒ 八千穂中学校 ⇒ 八千穂福祉センター ⇒ 佐久穂町「茂来館」
  • 外国ピアノ輸入商会 ⇒ 綾部高等女学校(のち綾部高等学校)
  • 個人購入(?) ⇒ 神奈川県相模原市 ピアノサロンMu

アップライトピアノは……

  • 岐阜県中津川市立 落合中学校
  • 山田耕筰 ⇒ 東大病院看護部 芙蓉会 ⇒ 東大病院
  • 長野県佐久穂町職員による個人購入 ⇒ 佐久穂町「茂来館」
  • 与謝野晶子(与謝野家) ⇒ 岡本太郎(岡本太郎記念館)

……という状況です。

なんだか時代が進むにつれて、新たなスタインベルク・ベルリンが確認されて数が増えているような気がしますが、それなりの台数が個人購入さているのではないかと推測します。たぶん。

今後も新たなスタインベルク・ベルリンのピアノが、日本で見つかるかもしれませんね!

あー今日はアカデミックな記事になりました、よね?

 

参考情報一覧と謝意

この記事をリライトするにあたって参考にさせていただいたWebページやPDFを、ここにまとめて掲載しておきます。

こんな"コタツ記事"でもそれなりにまとめる作業というのは、ひとりの知識では到底できません、無理です。以下の様々な情報のおかげで、最後まで書き切ることができました。

謝意を込めて。

  • 更新日:
  • 公開日:
Comment---
Sumireさん
あったかくてすてきな音色ですね〜
やわらかいけどこもっていなくて…

この著者の安倉 清博さんという方、まだ40歳で考古学専門の方のようで。
ご自身もピアノをひかれる方らしく、すばらしい功績ですね!
管理人
Sumireさん、ありがとうございます。

いい音色ですよね、やっぱり。

ピアノが弾ける考古学者・・・カッコイイですよね!

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