楽器メーカーが浜松市に集中しているのはナゼ?
ヤマハ、カワイ、ローランド、鈴木楽器。大手の楽器メーカーって浜松市に集中しているんですよね。ピアノ教室という音楽教育の末席に身を置く者としては、浜松市には足を向けて寝られません。でも前々から疑問に思ってたんで、この際いろいろ調べてみました。
7月29日、30日と、グレンツェンピアノコンクール横浜予選の応援で、みなとみらいホールに行っていました。
29日は終日、30日は午後、ずっとステージを見ててまたいろんなことを感じた次第です。
グレンツェンピアノコンクールはすべて課題曲なんですが、曲が決まっているだけに微妙な差が出てしまいます。ミスタッチとかハッキリわかってしまうんですよね。
管理人のような曲を知らないド素人でも「あっ、今まちがえた!」って聞きとれちゃいます。
同じ曲を何人も何十人も続けて弾くわけですから、ちょっとしたミスやテンポの違い、演奏のニュアンスなんかも、ぜーんぶ差がついてしまいます。
ある意味、自由曲よりシビアかもしれませんね。
コンクールって基本、入場無料です。聴くだけならタダ、ゼロ円です。そして、まだまだの人も、実力のある人も、いろんなレベルの人が演奏します。
これを聴きにいかない手はありません。
これから演奏の道、音楽の道に進むつもりがある人は、絶~対、聴きにいったほうがいいです。損はしません。っていうか、ものすごく勉強になると思いますよ。
もし自分のお子さんが少しでもその気がある方は、絶対連れて行ってください。やはり年1回や2回のステージ体験だけでは、経験が足りません。
かといってコンクールばかり出ててるのも大変ですから、ひとのコンクールを見るっていうのも“良いレッスン”になると思うんです。
そしてさらに……
これです、コレ!
プロの演奏を生で見ることで、そのたたずまいや演奏動作とか、自分の中にイメージができてくると思うんですよね~。
たとえば野球好きな子どもは、野球中継を見ますよね。球場が近くにあればシーズン中、何回かは観にいくでしょう。サッカーでもなんでも同じです。プロのプレイを見て自己イメージし、マネして学び、覚えていくんですよね。
子どもってそんなもんじゃないですか。
もし一度もプロの演奏を生で見ずに上位を目指しているんだったら、ちょっとナンセンスかもしれません。
それはピアノ教室の先生だけで足りるわけありません。
特にうちの教室みたいに「専業講師」、つまり演奏活動をしていない、ピアニストではない先生についている子は、絶対プロのピアニストの演奏を見に連れていってあげてください。
それもレッスンのうちですから。
やっぱそういうところにお金と時間、労力を惜しんでいては、伸びる才能も伸びないですよね。
まんべんなくリスク分散した投資じゃなくて、「選択」と「集中」だと思うんです。勝てる分野に集中投資。
いろんな習い事にお稽古事、スポーツ、運動、そして塾とか、まんべんなくやらせるのも教育方針としてはあると思います。ひと通りなんでもやらせて最低限のリスクを分散させるという育て方もありです。負けないように分散投資ね。(逆にライバルも多いでしょうね。)
でも、やっぱり最後に勝つのは「専門家」です。
コンクールでもなんでも勝ち上がっていくのは専門性を高めた人ですもんね。他人より一歩でも二歩でも、1cmでも1mmでも、専門性を高めた人だけが勝ち上がっていく世界ですよね。
そういった世界で上位を目指していくには「選択」と「集中」、「専門性」が大事かな、と。
あ、なんでも高度に結果を出せる“天才”だったら話しは違いますけど。レオナルド・ダ・ヴィンチとかね。
ここまで書いたのは相対的価値に基づいた感想です。
つまりコンクールというシステムによって相対的に生み出される結果についての感想です。
もっと簡単にいうと(笑)、たくさんの人が参加しほんの数分だけ演奏し数名の審査員の先生に比較され、その結果、上手い下手といった相対的な順位付けが出てしまうことに関しての率直な感想です。(むずかしいですね・・・。)
でも優劣という相対的結果がでてしまう、そんなコンクールにおいても揺るがない絶対的な価値、というのもあるんじゃないかと。
どんな順位がついても演奏中にどんなミスしても、本選に進めなかったとしても出演者中一番ヘタだと言われたとしても、それでも揺るがない価値があるはず。
決して相対化されない他人と比較されない絶対的価値。
それは自分主観の体験・経験ではないでしょうか?
コンクールという他人と比較される場で、自分が体験し、自分が感じ、自分が思い、自分が学んだこと。
心臓がバクバクと波打ち、ガクガクとヒザが震え、手にビッショリ汗をかき、指先がうまく定まらず、頭の中が真っ白になりながら、それでも得られた自分だけの時間。自分だけの経験。そのあと胸に残った何か。
これは相対化できないですよね。他人は評価できない、ひとと比べられない、唯一無二の価値です。自分自身の内面にだけ存在している絶対的価値です。
絶対的価値は揺るぎません。何者にも支配されない自分だけの宝物です。
今回11人もの生徒さんが出場しました。それぞれ結果も点数も違います。コンクールというシステム上での点数の優劣も出ています。
でも、そんなことどうでもいいじゃないですか。
出場者が変われば、時間が経てば、相対的に変化してしまう、相対的な優劣でしかありません。
みんなそれぞれ揺るぎようのない「自分だけの宝物」を得たはずです。
聴衆にも、審査員にも、先生にも、親御さんにも、誰にも知られることのない、自分だけの宝物です。
これが一番の貴重品。最高のトロフィーだと思います。
みんな優勝したんです。
バンザイ \(≧∇≦)/
オメデトウ!オメデトウ!オメデトウ!
みんなオメデトウ!!
画像出典:スタジオジブリ
さて例によって、ここに書いた記事は管理人の個人的な感想です。
そして管理人は音楽の専門家じゃありませんよー。
と、姑息に逃げる
((((((〜 ´∀`)〜コソコソ…
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ヤマハ、カワイ、ローランド、鈴木楽器。大手の楽器メーカーって浜松市に集中しているんですよね。ピアノ教室という音楽教育の末席に身を置く者としては、浜松市には足を向けて寝られません。でも前々から疑問に思ってたんで、この際いろいろ調べてみました。
なぜ幻のピアノなのか?日本に3台しかないから?ニュースからはよくわかりません。そんなわけで、少し探っていきたいと思います。
日本の季節感と死生観を四俳人の六句を元に美しく雄大に描いた楽曲「Mado Kara Mieru」と、作曲者クリストファー・ティンについて、動画を交えながら解説。またCorner Stone Cues版と『Calling All Dawns』版の違いや、グラミー賞受賞の「Baba Yetu」についても。
まだ感想めいたことを書いてなかったので、一応書いとこうと思います。でも、管理人はピアノの素人ですので、演奏レベルとか技術論については完全スルーしますね
ピアノ教室管理人なんて名乗っている割に、ぜんぜん楽譜が読めないわけなんですが、「道行くあの人は楽譜が読めるのか?」というのは、割りと気になってしまうわけです。日本の識譜率、読譜率はどうなんでしょうかね?